ハワイシニアライフ協会でHawaiiの旅(滞在)を10倍楽しむ!

女性採用ゼロの難関を突破し、
着物で外交をこなす20代前半。

Q.早稲田大学へ進学されてからは、
 どんな学生時代を過ごしましたか?

 大学受験も要領よく、早稲田、慶応、青山、3つ受けてすべて合格し、早稲田に入りました。その頃には陸上を辞めて、新聞クラブへ。革丸派と言われたほど、ラジカルで歴史ある新聞界で、入部試験があったんですよ。記者をやりながら、かつ母が「将来就職するときに、二カ国語ができていてもしょうがない、三カ国語を勉強しなさい」というので、ドイツ語の先生に付いていただきました。同じ時期にドイツの会社がアルバイトを募集していたので、学校へ通いながら仕事もしていましたね。当時、後に新卒で入った会社よりもアルバイト料がよかったと記憶しています。ただ、忙しくしていたので、卒論を書き上げるまでの時間はたった2カ月。「2000年に入る時、人間の労力を削減するために、電子コンピューターによるロボットがどのぐらい必要とされるか」という内容だったの。その時すでに今の社会をテーマにしていたんですよね。この頃にはかなり英語は話せるようになり、外国の方たちとの交流が頻繁にあったので、将来は外資系企業に勤めるか、または、海外に行くだろうなという予感がありましたね。

 

Q.3カ国語が操れる才女だというのに、
就職活動は簡単ではなかったそうですね。

 そうなの、ここからが問題でした。私は通信社か新聞社に入って、国際レポーターになりたかった。しかし、就職案内の黒板を見ると、女性を採る企業なんて、ほとんどないんです。それを目の当たりにして、愕然としましたね。私の意識の中では、就職が全く当たり前のことなのに、現実の受け入れ体勢がないのですから。そこで「こんなことあってはいけない!」と奮起しました。女性を募集していなかった、日本で最も歴史あるPR会社、国際PRの社長に何度も電話をしました。「うるさい、5度もかけてきて」と言われたけど「こんな時代になって、どうして女性を採用しないのですか? 理由を言ってください!」と私は詰め寄った。その答えが「女性は優秀じゃないから」と言うの。「では、テストで試して欲しい」とお願いしたんですよ。試験会場には真っ黒い制服の男子学生が200人ぐらい来てました。その大きな会場に私は、まさしく紅1点の赤いスーツで行ったんです。結果はナンバー1で受かっちゃった。もう社長は文句いいようがないですよね(笑)、それで「はい、どうぞ」ということになったの。すごい女性が入った、というので注目されましたね。会社としては困ったという気持ちと、どうやってこの女を伸ばして会社の利益にしようか、というのと両方があったと思います。

 

Q.最初の大きなプロジェクトが
 海外赴任だったのですか?

 入社して半年後に担当したクライアントはパレスホテル。この時、ちょうどホテル側でオーストラリアのマーケットを開拓するので、そのPRのために誰かうちのホテルのために渡豪してほしい、とオファーがありました。語学力や社交性、怖気づかない人……など、その条件を満たす人間を試験で選ぶことになったのですが、その試験にも男性を抜いてわたしがパス。当時、1ドル360円の時代に日本人女性が出張でオーストラリアに入るというのは、珍しいことなんで、シドニーの空港に到着した時には新聞記者がたくさん待っていて、フラッシュがバンバンたかれていましたよ。

 記者に「私は自分で着物が着れない」って言ったら「MASAKO CAN NOT WEAR KIMONO」というのがその新聞のタイトルに。大和撫子は、着付けができて当然なのに、私は「着れない」とはっきり言ったから話題になったんです。PR会社ですから、私の渡豪を上手にPRしたかったのですが、記者は皮肉を書くのがうまいから、こういう見出しとなって困ってしまいまいた。パレスホテルのためにオーストラリアの各都市を巡りました。まずは日本そのものに関心を持っていただくために、各地の領事官の奥様に着付けをお願いして、現地では度々着物姿で外交を試みました。みなさんにとても歓迎され、可愛がっていただきましたね。

高校生の頃は受験勉強が嫌いだったので悲しそうな表情!? しかし見事に早稲田へ現役合格

パレスホテルでVIPゲストに囲まれて

オーストラリアにて艶やかな着物姿を披露

 


美麗伝CHAPTER

少女時代 送辞を読む優等生少女のもう一つの顔は徒競走1位のお転婆娘
新入社員時代 女性採用ゼロの難関を突破し、着物で外交をこなす20代前半。
キャリア時代 「梨本の10カ条」の条件を提示し、新天地へ飛び立ち、仕事に夢中だった頃
新婚時代 運命のダーリンと出会い、結婚の条件を提示
起業時代 ハワイでゼロから起業し、ナシモト&アソシエイツを誕生させた
家族との日々 働くママとして家族を支え、最愛の夫の死を乗り越えて……
今、そして未来 みるみるうちに会社が飛躍ハワイに恩返しをする豊かな日々

Q1 退職パーティっていくらくらいかかるの? Q2. コーディネーターは何をしてくれるの? Q3 どんな内容のパーティなの?