Q.27歳で世界最大の広告会社に
引き抜かれた経緯を聞かせてください。
パレスホテルでのロレックスの製品発表記者会見の席でね、メディア各社が質問タイム だというのに誰も手を挙げなかったんです。なんだかお葬式みたいにシーンとしているので、気の毒に思った私は、英語で幾つかの質問をして、その場を盛り上げたことがあって……。そうしたら、これはスゴイ、彼女は何者か? と、当時世界最大の広告会社だったJ・ウォルター・トンプソン社の幹部の目に留まったんです。その後引き抜き合戦になりました。国際PR側は“絶対渡せない”と譲りませんでしたが、新設のPR部長として迎えてくれるというウォルター・トンプソン社に幾つかの条件を提示し、転職を決めました。
後に「梨本の10カ条」として社内で語り継がれる条件だったんですよ、例えば、個室を用意、アシスタントをつける、主要新聞雑誌はすべて揃える……とかね。とはいえ、PR部門をゼロから立ち上げるには苦労しました。結果、1年後には世界に56カ国ある支社の中で、私が1年間に稼いだ金額がダントツに多かったんです。「一体、どういうマジックハンドがあるのか?」と色々な国の社員が聞きに来たくらい(笑)。
Q.月の半分は海外出張という日々で
離婚も経験されたのですね。
実力の世界だから、ものすごく仕事しましたね。職住接近で、会社から徒歩数分の泉岳寺のマンションに暮らしていました。デンマークへ行って、スカンジナビアのミンクの養殖場を1カ月ぐらいリサーチ、1週間後にはシカゴに行ってクラフトチーズの新しい製品の勉強、その1カ月後にはカナダに行って、森林地帯で2×4工法の勉強……のような、クライアントの事業内容に応じてリサーチやミーティングに出かける日々ですから。当時は与えられた使命だと思って、ホイホイ乗り切っていましけれど、頭の切り替えと体力が必要な仕事ですよね。でも、この仕事はやればやるほど上達するんです。語学の才能、コミュニケーション能力、社交能力、計画性が伸びるの、やればやるほど、ね。だから仕事が面白くて働きづめ。当時アメリカ人のジャーナリストと結婚していたんですが、すれ違いのせいで上手くいかず、35歳の時に私から離婚を切り出し、彼からは猛反対に合いながらも、37歳の時正式に離婚が成立しました。 |