ハワイシニアライフ協会でHawaiiの旅(滞在)を10倍楽しむ!

運命のダーリンと出会い、
結婚の条件を提示

Q.PR部長のキャリアを投げ打ってまで 
 結婚しようと思える男性との出逢いは?

 離婚の前後、精神的にも肉体的にも疲れ、燃え尽き症候群のようになっていたんです。短期の休暇を取り、友人を訪ねてグアムへ行きました。滞在中のパーティで出会ったのが後に夫となる男性、アメリカ・メリーランド州出身のガイ・ルトレル。当時、彼はパラオでココナッツオイルを作る工場を大規模に経営していました。私が日本に帰国してから数日後、仕事で香港へ来た帰りに日本へ寄った彼が、私のオフィスの外で待っていたんです。その日から2年に及ぶ熱烈なアプローチを受けました。プロポーズで「グアムへ一緒に来てよ」と言う彼に「え? 私はPR部長をしているのよ、普通の女性ではないことは知っているでしょう? なのに、グアムに連れて行く気?」と言い、結婚に条件を付けました。トンプソンに入ったときの10カ条とは違う条件ですよ(笑)。住まいは海の見える家であること、外装は白であること、さらにその海の中央に小さい島が浮かんでいること。「島は絶対ね、そうでなければ私はあなたと結婚しない、探して来て」と無理難題を言ったんです。彼は本気で幾つかの物件の写真を持ってきて……。そこには、島が浮かぶ海を望む白い家がありました。結婚式で、彼がゲストに次の様に挨拶をしました。「君たちが必要としている梨本昌子を連れ去るのは申し訳ないが、僕が愛してしまったので、どうぞ許してください、愛は何よりも強い」。私は泣かなかったけれど、みんなが泣いちゃって……長かった日本でのキャリアと訣別した瞬間でした。

 

Q.待望の第一子ご出産後、
 グアムでの生活はいかがでしたか?

 妊娠中にグアムへ渡り、4カ月後に第一子である女の子を産みました。当時、私はグアムのDuty Freeの社内報の編集の仕事をしていたんです。陣痛の日と締め切りが重なってしまって……。陣痛は3分5分10分、10分5分3分って痛みがあるんですが、陣痛室で赤字を入れて校正し、校了しました。コレ、有名な話なの。グアムの病院では前代未聞の出来事だったそうですよ(笑)。出産後も専業主婦にはなれなくて、ホテルのコンサルタントの仕事を依頼されたり、日本で学んだフラワーアレンジを近所のマダムたちに教えるお教室を開いたり……常に何か活動をしていました。主人はラホイヤでのサテライトシティ(住宅、学校、郵便局、ライブラリー、病院などの集合体)の建造の直後で、パラオでココナッツオイルを精製する工場の立ち上げ、と……実業家として活躍していたので、生活そのものは豊かでしたが、私自身が生きる上で何か仕事をしていたい、という選択をいつもしていたんですね。

 パラオにいた頃は、村の人々の子育て方法を日本の雑誌にレポートしたこともありました。子どもを抱えなから、カメラを持って取材に出かけていましたよ。後に友人に「あら、あなた、何でグアムなんかに3年もいたの? 淋しくて嫌だったでしょう?」とか「田舎で退屈だったでしょう?」と言われましたけど「私にとっては、人生最高の場所でした」と、今でも言うんです。それを聞くとみんな驚きますが、この頃の私はとても満たされていたと思います。

 

Q.なぜ、ハワイへ移住?
 決め手はどんなことだったのでしょう?

 主人の仕事の都合もあって、グアムよりもっとコミュニケーションが取りやすい都市へ引っ越そうということになり、5都市(香港、ラホイア、ワシントンDC、東京、ハワイ)の候補が挙がりました。グアムで男の子も出産してふたりの子どもがいたので、子育てを最優先にするとハワイが一番相応しく思えましたね。さらに、私の仕事再開の可能性も考えたんです。
 
 トンプソンで培ったマーケットリサーチの方法では、新しい製品やサービスを発表する時は、80万人ぐらいの人口を対象にするのがポイント。そこでどういう結果が出るかが、ベンチマークになるんですね。80万人はホノルルの人口に近いんです。ですから、私が何か仕事をするには、ちょうどいい場所なんじゃないか、という確信はありました。また、私自身が日本語を駆使できる日本人であるので、日本語を使うチャンスは十分にあるだろうし、英語もかなりうまくなっていましたから、重宝されるだろうということ、さらに、とても親しくてセンスの合うご主人がアメリカ人、奥様は中国人の友人夫婦が(有名な建築家と優秀なデザイナー)「梨本さん、ハワイであなたの語学力と社交性を使ったら、成功するに決まっているよ! あなたみたいなタイプは、様々な人種が交わっている場所の方がうまくいくよ」と言ってくれたの。その助言で「あ、そう、あなた達がそう言うんなら。それがいいのね」ってハワイに決めたんですよ。

グアムでお嬢さん舞さんの1歳のバースデイ。写真左がご主人のガイさん。ロンドン郊外にお城を所有していた名士の出身で、俳優の経験もあるほどの美男子だった

パラオでは子連れ取材でアチコチに出向き、ミクロネシアではどんな子育てをしているかという現地発の情報を日本のメディアへ配信していた

 


美麗伝CHAPTER

少女時代 送辞を読む優等生少女のもう一つの顔は徒競走1位のお転婆娘
新入社員時代 女性採用ゼロの難関を突破し、着物で外交をこなす20代前半。
キャリア時代 「梨本の10カ条」の条件を提示し、新天地へ飛び立ち、仕事に夢中だった頃
新婚時代 運命のダーリンと出会い、結婚の条件を提示
起業時代 ハワイでゼロから起業し、ナシモト&アソシエイツを誕生させた
家族との日々 働くママとして家族を支え、最愛の夫の死を乗り越えて……
今、そして未来 みるみるうちに会社が飛躍ハワイに恩返しをする豊かな日々

Q1 退職パーティっていくらくらいかかるの? Q2. コーディネーターは何をしてくれるの? Q3 どんな内容のパーティなの?